歌の歳時記

歌の歳時記

By Hiroyuki Nagata

♪栞(しおり)のテーマ サザンオールスターズ

・・・車の免許をとって、一人でドライブしている時、よくサザンとユーミンを聴いていたが、夏といえば、この曲だった。アルバム「ステレオ太陽族」から。

♪長い間 Kiroro

・・・春の午後、何かの集会が教室であり、初めて聴いたこの曲のあまりの心地よさに、うたた寝をしてしまった遠い記憶がある。次のシングル「未来へ」も良かった。

♪オールウェーズ・アンド・フォーエバー ヒートウェイブ

・・・ディスコ調の「ブギー・ナイト」が全米で大ヒットしたが、その次にシングルカットされた、このバラードが好きだった。過ぎ去った夏を思い出しながら、この曲をどこかで聴きたい。

♪幸せをつかみたい 広瀬香美

・・・今では自分でも信じられないが、一時期スキーにのめり込んでいた時代があった。アウトリガーという障害者用のストックを使って、片足を上げて滑るのである。両手のストックの先に短いスキー板がついていた。

♪哀しみのボート 松田聖子

・・・松本隆は私の最も好きな作詞家の一人である。ユーミンは「彼は少女のよう」みたいなことを言っていたが、松田聖子は松本隆なしには語れない。1999年発売のこの曲を私は待っていた。松本・松田コンビの復活だった。かつて、このコンビの歌はほとんどヒットした。「哀しみのボート」地味な曲である。だがいい曲だと思った。往年のファンである私はヒットを期待した。だが不発に終わった。それは何かの終わりだった。

♪ハレルヤ 普天間かおり 

・・・まだ雪残る大町温泉郷「夢の湯」ライブで生で聴いた。レナード・コーエンの名曲に、彼女自ら作詞した曲。レナード・コーエンを最も心酔しているというシンガー、小室等が、普天間のこの曲を聴いた時、号泣したという。南こうせつは感動して電話をかけてきたという。とにかく詞が感動的だ。彼女から直接サイン入りCDを買ってから、4ヶ月ほど車の中でずっと聴いていた。飽きがこない。共感と震撼。名曲である。

♪言葉にできない オフコース

・・・かつて上諏訪の駅の近くにあった「フォーク村 コンセール」。仕事が終わってから毎晩のように通っていた。階段を上がり左側のドアを開け、店内に入ると、よくオフコースが流れていた。まだLPレコードのアルバム「OVER」が発表された頃で、アルバムタイトルから、のマスターが、「もうすぐオフコースは解散するんじゃないか」と言っていた。実際その通りになったが、静かなこのバラードは、走り続けてきたランナーが羽を休めるような、達観したやすらぎがある。

♪LOVE BRACE 華原朋美

・・・第一興商のテレビCMにも使われたこの曲は大ヒットした。私の大事な友人の作詞である。世の中の常か、クレジットされている作詞家の名は別人である。この曲を春にしたのは、作詞した彼女が今、幸せでいてほしいという願いからである。 

 

♪イエスタディ  ビートルズ

・・・151曲目にビートルズ初登場である。やはり自分の中では、この曲が一番か。季節は秋だろうか。施設にいる頃、団体生活の中で知った曲。名曲は何十年たっても色褪せることなく、今も自分の携帯の着信音である。

 

♪森へ帰りたい  中村雅彦

・・・軽井沢を舞台にしたラブソング。作曲 岡江満枝。静かなバラードである。コンサートではオープニングに使うこともある。中村雅彦が10数年ぶりに、ブルース・ハープを吹いた曲。ピアノがバックに流れると、より叙情性が高まる冬から春にかけての歌。

 

♪キング・オブ・ザ・ヒル リック・ピネット&オーク

・・・私のとっておきの大事な大事な宝物の曲。このグループの曲はこの曲しか知らない。だが永遠不滅の曲だ。私は18歳から20歳まで毎年夏になると、東大阪市にある大学に3週間スクーリングに行っていた。20歳の夏、授業の合間を縫って、自分は小説を書きはじめていた。そして大阪から茅野市の自宅に帰ってきた。NHKFM「リクエストコーナー」を留守録してあったカセットテープから流れてきたこの曲を聴いて、私は背中が震えた。ピアノで始まるこの曲。歌詞の意味は全くわからなかったが、あまりに感動的だった。天から啓示を受けたように、そして私は作家になろうと決意した。

 

♪フランシーヌの場合 新谷のり子 

・・・1969年大ヒットの反戦歌・・・というレッテルを貼られているらしい。作詞、いまいずみあきら 作曲、郷伍郎は同一人物である。当時CMソングを手がけていた郷。1969年3月31日の夕刊の片隅に載っていたフランシーヌさんの記事を読み、一気にシャンソン風のメロディーが浮かんだという。前日に拡大パリ会議の会場から200メートルほど離れた路上でシンナーをかぶって焼身自殺をした30歳の彼女。この歌は歌手を夢見て函館から上京した新谷のり子によって歌われ、大ヒット。しかし作者の郷は「反戦作曲家」と呼ばれ、CMの仕事は激減した。新谷は「反戦歌手」のレッテル。その後「彼女はかわいそうだった」と郷。自分にとって旋律がただ切ないこの歌は、家族と別れ、療護園でひとり暮らす9歳の子供である私の癒しの曲のひとつだった。

 

♪イントゥ・ザ・ナイト ベニー・マードーンズ

・・・地味なミディアム・テンポのラブ・バラード・ナンバーだが、自分のイメージとしては夏に聴きたい曲である。小説「美都子」を書いている最中にトップ40で流行っていた。そしてポリドール・レコードから出ていたシングル盤を600円で購入した。そのレコードは今も手元に残っている。当時の曲というのはどれも印象的で耳から離れない。

 

♪いまのキミはビカピカに光って 斉藤哲夫

・・・テレビ・コマーシャルの宮崎美子がかわいかった。そしてドキドキした。レコードは1980年の6月に発売した。糸井重里作詞,鈴木慶一作曲。異色コンビだ。フォークシンガーの斉藤哲夫としては、この曲を歌うにあたってずいぶん悩んだらしい。過去はふっきればいい。そして歌い上げた明るい歌。はじける宮崎美子の水着姿。ちょっと太め。まさにイメージは「青春」と「夏」だった。

 

♪街が泣いてた 伊丹哲也&Side By Side

・・・第11回世界歌謡祭グランプリ授賞曲。当時の番組「ザ・ベストテン」で何度か見た。いわゆる一発屋で終わってしまったが、後年、「ザ・ベストテン」の特別番組で、元バンドのメンバーの妻が「主人が映っている場面を見せて下さい」と投稿し、そのメッセージが流されたことを憶えている。当時自分もシングル盤を買ってよく聴いた曲である。

 

♪ひまわり娘 伊藤咲子

・・・先日、NHKの「思い出のメロディー」に出演している姿を見た。懐かしくて聞き惚れてしまった。その昔、「イルカにのった少年」の城みちるとすったもんだしていた彼女がとても美しく年を重ねていた。自分の少年時代の日々をとても思い出させる歌。その後、別の歌手で何度かリメイクされているから、やはりいい曲なのだろう。

 

♪舟唄 八代亜紀

・・・演歌の名曲中の名曲。これ以上の演歌はないと思う。阿久悠の詞が最高である。目を閉じると「舟唄」の世界が映像で浮かび上がってくる。ひとりでしみじみ酒を呑む時に、まさしく聴きたい一曲。

 

♪たそがれのロンドン・タウン ウイングス

・・・1978年3月発表。バージン諸島の港に一ヶ月ヨットを浮かべてセッションをしたというアルバム。この最中にいろいろな事情により、バンドのメンバーが5人から3人に減ってしまったが、そこは天下のポール・マッカートニー、見事に完成させた。自分はかつて2週間、イギリスに行き、ロンドンにも泊まったことがある。とても貴重な想い出だ。「ロンドン・タウン」。ポールが、イギリスにこだわりを持って作ったアルバムと言われている。

 

♪小さな日記 フォー・セインツ

・・・懐かしい歌である。自分のいちばん幼い頃の胸の奥底に眠っている歌である。1968年、私が8歳の時にできた歌である。詞 原田晴子、曲 落合和徳。彼女が中学3年生の国語の授業中、落書き帳に何気なく記したのが「小さな日記」だった。そしてボーイフレンドが曲をつけ、仲間のバンドが歌っているところがレコー会社の目に留まる。そして「フォー・セインツ」の歌で大ヒット。激しいエレキのグループサウンズから、おっとりしたカレッジ・フォークへの移行期に、主にさまよう10代の心をとらえたという。子供の頃、療護園に慰問にきてくれたアマチュアバンドとよく歌った思い出の中の思い出の曲。

 

♪青葉城恋唄 さとう宗幸

・・・夏の名曲である。ダーク・ダックス版もあるが、仙台の駅長が市民の声を受け、さとう版を毎日駅の構内でかけるなどしたため、火がつきやがて大ヒット。当時地元のラジオ局でD・Jをしていたさとうが、投稿してきた詩に曲をつけたもの。

 

♪ときめきの彼方へ ベイビーズ

・・・ベイビーズのヒット曲は、いつも全米チャート10位台前半だった。この曲も最高位13位。前半バラードでサビの部分から盛り上がってくるという曲が多かった。とても印象的な曲が多く、わが10代最後を飾る季節とベイビーズは重なってくる。ヴォーカリストのハイトーンの歌声が甦ってくる。

 

♪木曽の花嫁さん わさびーず

・・・信州安曇野が生んだ田舎ソンググループ。新宿音楽祭グランプリ授賞曲、集英社ガッツ賞。わさびーず最大のヒット曲である。三橋美智也を敬愛してきた、リーダーの堀六平。彼の六平節の真骨頂の歌である。

 

♪私を待つ人がいる 高石ともやとザ・ナターシャ・セブン

・・・60年代フォークの時代が終焉し、アメリカに渡っていた高石ともやが結成した、ザ・ナターシャ・セブン。73年に発表した第1弾アルバム。その最初の曲である。100パーセント、カントリーである。高石もいろいろな心の葛藤があったことだろう。一切を振り切ったような、春を呼ぶ、さわやかな心暖まるアルバムだ。

 

♪涙のダンシング・シューズ ナイジェル・オルソン

・・・「涙の・・・」時代のせいか安易なタイトルだが、しみじみとしたバラードで好きである。エルトン・ジョン・バンドのドラマーとして有名なナイジェル。自分の持っているLDの「エルトン・ジョン・ライブ」にもしっかり映っている。全米18位のヒット。「ダンシング・シューズをはいてごらん。一夜限りの哀しみを捨てて。愛しているんだ。ロマンスの輪に愛を賭けてみよう・・・」

 

♪愛はかげろう 雅夢

・・・高校時代の仲のいい友人が2人、愛知県の某大学に通っていた。その大学の学生グループがデビューして「ザ・ベストテン」に登場したと友人が騒いでいたことを懐かしく思い出す。2人組のグループだったが、一人はたくろう派、もう一人の三浦はかぐや姫派だと、当時の雑誌のインタビューをまだ憶えている。昨年の夏、大町の森のステージで、三浦のソロ、ミニライブを聴いた。ラジオの公開放送だった。「愛はかげろう」を知っている人はどのぐらいいたのだろう。

 

♪水鏡 鈴木一平

・・・二十歳の当時、このシングルレコードを買った。鈴木一平、北海道出身のシンガーソングライター。演歌に近いニューミュージックといったところか。この「濡れた別れの歌」が私は妙に好きだった。とても印象的な歌で、自分がその頃書いていた小説「美都子」も影響を受けた。それから鈴木一平の歌は一度も聴いてないが、インターネットで調べたら彼のホームページがあるので、今度調べて聴いてみよう。

 

♪グッバイガール ディヴィッド・ゲイツ

・・・脚本ニール・サイモン。監督ハーバート・ロス。1978年のアカデミー賞「主演男優賞」はリチャード・ドレイファス。同名映画の主題歌である。当時、この映画単行本を買った。今でも本棚にある。この主題歌は映画のラストシーンに使われていて、とても印象に残っている。ディヴィット・ゲイツの創ったこの歌。優しくて、暖かくて、きれいなメロディーで、いつまでも耳に残る曲だ。

 

♪やさしさとして 想い出として ふきのとう

・・・ふきのとうの魅力は生のステージにある。自分も何度か彼らのコンサートに出かけた。いつも池田町の夏の高原だった。そのコンサート・ツアーから生まれた名曲といわれる。ふきのとうの歌のもつ独特の暖かさは出身地の北海道が生んだものかもしれない。信州大町のフォークシンガー中村雅彦いわくランプの暖かさ。この曲は西城秀樹もずっとコンサートで歌っているという。

 

♪きみの朝 岸田智史

・・・作詞家、岡本おさみの真骨頂の歌だろう。深い詩である。当時、この手の歌を軟弱という評論家もいた。それから10年ほどたって「癒し」の時代がやってきた。100人100色である。自分はこの歌をずっと愛すると思う。岸田智史はこの頃絶頂期で、教師役でテレビドラマに出ていたりした。

 

♪青春の旅路 アート・ガーファンクル

・・・1973年、ソロアルバム第1弾「天使の歌声」より。最初の出だしの曲である。初めてこの曲を聴いた時、美しいメロディーに、たちまち虜になってしまった。「目覚めて恋人よ、もう陽は高い ひとり、またひとりで この旅する僕はただ行きずりの男 それでも君のことを想っている・・・」と歌う名バラード。 

 

♪Oh!クラウディア サザンオールスターズ

・・・ユーミンの「ずっとそばに」と共に、車の免許をとった23歳の夏、いつも聴いていた曲。茅野市のスポ-ツ公園の駐車場で聴いていた記憶が今なぜか甦った。桑田メロディーには本質的に哀愁と郷愁がある。そして夏色だ。サザンのギタリスト大森氏には一度お会いしたことがある。桑田氏は友人に恵まれていると思った。

 

♪ずっとそばに 松任谷由実

・・・アルバム「リ・インカーネイション」より。車の免許をとって最初の夏、カーステレオでよく聴いていた曲。ユーミンのもつ優しさがとてもよく出ている曲で、彼女の母性本能を感じた。ユーミンはずっとクリスマスシーズンに新作を発表してきたが、この曲のイメージは夏である。

 

♪アメリカン・モーニング ランディ・ヴァンウォーマー

・・・美しい曲である。原題はとても難しい曲名で、最初はそれで紹介されていたが、日本発売にあたって、アメリカン・モーニングというとてもチープな赤面しそうなタイトルに代わった。昔、先輩の女教師に、彼女の誕生日にこのシングルレコードをプレゼントしたことも甘美な青春の想い出だ。

 

♪メイビー トゥモロー レベッカ

・・・親元を離れて、池田町で一人暮らしを始めた頃、自分はとても疲れていた。朝はなかなか起きれず、何も食べないで仕事に出かけていた。でもこれは自ら選んだ道だし、がんばるしかなかった。そんな気持ちをこの曲は代弁してくれていた。まさしく同苦の日々を、レベッカのヴォーカルのノッコが歌い上げてくれた。彼女と辻の別れも背景にあったのか。こんなに気持ちにぴったりとくる曲もなかった。先日テレビの「あの人は今」にノッコが出ていた。彼女は今、39歳になり、ニューヨークで主婦をしていた。

 

♪想い出の中に バリー・マニロウ

・・・高校時代の夏、クラスの友人とキャンプにでかけた。美濃戸の川べりを歩いていた時、友人の帯川潔さんの腰にぶらさがったトランジスターラジオから流れてきたのがこの曲。高原の涼しい風と切れるように冷たい水とバリー・マニロウの澄んだ歌声に心酔。キャンプから帰ってくると、茅野市のシマダヤ楽器店で、シングルレコードを買う。この歌がきっかけで、洋楽を聴きまくるようになる。BARRY MANILOW 「LOOKS LIKE WE MADE IT」忘れられない夏の一曲。 

 

♪ママに捧げる詩 ニール・リード

・・・小学校6年だったと思う。自分が最初に買ってもらった洋楽のレコードである。当時、英国の少年ニール・リードは12歳だったと記憶している。なんていい曲だろうと我が家に帰省するとプレイヤーで何度も何度も聴いていた。その当時、私は諏訪養護学校の「みずうみ寮」に寄宿していて、我が家に帰れたのは月に一度ぐらいだった。この曲のもつ寂しさと感動的なメロディーラインは、自分のもつ冬の部分と重なりあった。原題「MOTHER OF MINE」キングレコード。1972年。Time 3:57 このシングルレコードは、まだ自分の手元にある。

 

♪赤いスイートピー 松田聖子

・・・自分をビルボードのヒットチャートの世界に引きずり込んでくれたのは、高校時代の友人である藤森哲司さんだが、数年後、松田聖子の世界に導いてくれたのも彼である。聖子が神田正輝と結婚して休養するまで、私は聖子を聴きまくった。好きな曲はたくさんあるが、特に好きな1曲は、この曲である。この曲は、自分が19歳の時、足の手術で3か月ほど入院した頃、隣の部屋に母子入院していたお母さんがいていろいろと語り合った。そのお母さんが、この曲が好きだった。春を感じさせる名曲である。

 

♪永遠への航海  スティックス

・・・私が全米ヒットチャートを追いはじめたのは、高校1年の夏だった。自分の隣のクラスの藤森哲司さんが、毎週土曜日、夜10時から夜中の2時まで放送している、当時のラジオ関東「アメリカントップ40」を教えてくれた。湯川れい子がパーソナリティーの、この番組に私ははまった。聴きはじめの頃、気に入っていたのがこの曲。ハイトーンのボーカルで、自分はてっきり女性だと信じ込んでいた。でも答えは男性のニールショーンだった。出だしが最高の美しく激しいアメリカらしい曲。 

 

♪愛の終着駅 八代亜紀

・・・昔、上諏訪に「再会」というスナックがあった。あの頃はまだ豊かな時代だった。まだ10代の自分だったが、職場の飲み会の2次会か3次会に参加した。スナックのテーブル、自分の隣に同期赴任の23歳のK先生がいた。彼女は細身の芯が強い髪の毛の長いナイスガールだった。ただ内面を公開しないタイプだったので、周りから誤解されているところもあった。まだ10代の自分は彼女の隣にすわれてうれしかった。同僚のヒデ先生が、カラオケでこの歌を歌った。「文字の乱れは線路のきしみ・・・」というフレーズがまだ若い私の胸に刻まれた。

 

♪愛する人に歌わせないで 森山良子

・・・自分が家族と離れて下諏訪町の「みずうみ寮」で過ごしたのは、11歳から15歳までだった。寮には放送室があり、そこには何枚かのLPレコードがあり、「森山良子全曲集」もあった。そうじの放送当番の時、よくかけたのが、この曲。確か森田公一作品の反戦歌。戦争反対のメッセージとドラマチックな内容と森山良子の感情豊かな歌い方は、いつまでも心に残っている。

 

♪スターティング・オーバー ジョン・レノン

・・・自分は二十歳だった。小説「美都子」を書き上げ、初めての出版が目前に迫っていた。12月8日、確か土曜日だったと思う。午後、上諏訪のスワプラザの中にあるレコード店に入った。そこに大きな紙が貼られていた。「急告、ジョン・レノンが今日亡くなりました。殺されたのです」その頃、ジョンは4年ぶりにLPを発表し、この曲が巷に流れていた。ジョンが亡くなった夜、私は家に帰ると、ジョンのレコードだけをずっと聴いていた。

 

♪アイ・ゴー・クレイジー ポール・デイヴィス

・・・静かな静かな名曲。1978年、自分が最もアメリカントップ40にはまっていた頃のヒット曲。とにかくゆっくりゆっくり亀の歩みのように、ヒットチャートを上がってきた曲で、自分はずっと応援していた。最終的に8位ぐらいだっただろうか。自分にとって宝のような曲が、田中康夫の「なんとなくクリスタル」に取り上げられ、映画のサントラ盤にも収録された時、何か自分だけの宝物を取られたような気がしたものだ。「I Go Crazy」アトランタ出身のシンガー=ソング・ライター。

 

♪いっそセレナーデ 井上陽水

・・・自分が24歳。T町のR子さんとつき合っていた頃の陽水のヒット曲。9月に彼女と知り合い、交際は4か月で終わってしまったが、よく車の中で二人で聴いた曲。最初に会った日は、ロングヘアーだった彼女。2度目に会ったらショートになっていた。彼女との想い出の曲は何曲もある。ちょっと口が大きくチャーミングな人だった。

 

想い出のサマー・ブリーズ シールズ&クロフツ

・・・美しいメロディーとせつないハーモニー。夏になると聴きたくなる曲である。テキサス出身のデュオグループ。この曲が大ヒットしたのは1972年。自分がまだ小学生の頃だから、リアルタイムではそんなに聴いた記憶がない。気に入ったのは後年だろう。シールズの弟が在籍した  「イングランド・ダン&ジョン・フォード・コーリー」も大好きなグループだった。

 

♪翼あるもの 甲斐バンド

・・・大好きな曲である。ちょうど小説「美都子」を書いていた頃、聴きまくっていた曲。なんてかっこいい歌だろう。当時二十歳の自分のテ-マ曲に思えた。歌詞がいい。甲斐よしひろのヴォーカルがいい。甲斐バンドは最も好きなバンドのひとつである。デビュー曲がとてもよく、それからあとがあまりヒットせず数年苦労したが、やがてブレイクした。当時のNHKFM夜の「サウンド・ストリート」の甲斐よしひろのDJはよく聴いていた。

 

♪過ぎし日の想い出 メアリー・マックレガー

・・・この曲は好きである。透き通る歌声。美しいメロディー。胸打つ情感たっぷりの歌唱。「TORN BETWEEN TWO LOVERS」ほんとに恋をしたのはあなただけ・・・。コロラドからやってきた森の妖精と呼ばれた彼女。その後、名前はきかなくなったが、私の忘れられない青春の一曲。

 

六月の子守唄 ウイッシュ

・・・この曲も美都子時代によく聴いた曲。確かNHKFMの6時のジョッキーという番組から録音した。若い母親が赤ん坊に「大きくおなり 優しくおなり 母はいつまでもおまえのそばにいてあげる」と歌っている女性ジュオの歌。珍しい題材だが、とてもしっとりとした良い曲である。

 

♪ラブ・イズ・ブラインド ジャニス・イアン

・・・私は18歳の時に年上の女性に恋をした。「愛は盲目」彼女に自分のお気に入りの曲だけ入れたカセットテープをプレゼントしたことがある。その中の一曲。テレビドラマの主題歌に使われて大ヒットした。ジャニス・イアン。私小説派のソングライターといわれる。自分の心情を激しく吐露したこの歌は、恋する人の心を揺さぶる。

 

♪そして僕は途方に暮れる 大沢登志幸

・・・松田聖子と郷ひろみが破局になった全く同じ日、私は彼女と破局になった。将来、結婚しようと約束していた彼女だった。その夜、別れの電話のあと、コンビニ前の公衆電話から出てきた自分は、車に乗り込むと、あちこちに突っ込んでいきたい気分だった。巷でちょうど流行っていたのがこの曲、まさしく自分が主人公。自分のテーマ曲だった。

 

♪金色の髪の少女 アメリカ

・・・池田町で初めて一人暮らしを始めた頃、レーザーディスクでいちばん聴いていたのが、アメリカのライブ盤だった。よくひとりで酒を呑みながら、演奏を聞きながら、特にお気に入りがこの曲だった。アメリカというグループには、この他にもいい曲がたくさんある。アメリカという国の良い部分をさわやかに歌うグループだった。

 

♪ピーターラビットとわたし 大貫妙子

・・・新設された養護学校に転勤した時、職員は皆いきいきとはりきっていた。生徒のために創作ダンスなども創られていた。いちばん印象的なのがこの曲のダンスだった。声が大きいめちゃくちゃ元気な独身の女性の教員がさわやかに踊っていたのを思い出す。放送委員会だった私は、清掃の時間の音楽に、しばらくこの曲をかけていた。

 

♪マイウェイ セックス・ピストルズ

・・・ポール・アンカがフランク・シナトラに贈ったあまりに有名なこの曲は、本家のフランク・シナトラ他、たくさんの歌手のカバーがあるが、自分がいちばん好きなのが、イギリスのパンク・ロックの雄、セックス・ピストルズのヴァージョンである。青春時代にパンク・ロックの洗礼を受けた私は、初めてこの曲を聴いた時、鳥肌が立った。映画「マイウェイ」を観た時も感動で涙が溢れたものだ。 

 

♪いとしのエリー サザンオールスターズ

・・・この歌は自分にとって夏の曲である。18歳の時だった。東大阪の大学の通信教育を受けていて、夏のスクーリングに参加していた。三週間ほど東大阪の教室に寝泊まりしていた。ある夜、仲間でスナックに行った。まだカラオケの草創期だった。私は「いとしのエリー」を歌った。聴いていた年輩の方に「自分の子どもの方がまだ上手だ」と言われた。自分がカラオケ嫌いなのは、この一言を引きずっているのかも知れない。

 

♪スカイ・ハイ ジグソー

・・・日本で大ヒットしたこの曲。とても印象的な歌だった。確かに英米のグループにはない雰囲気があった。この曲を主題歌に使ったハングライダーのアクション映画「スカイ・ハイ」を観た。映画はとてもつまらなかった。

 

♪哀しみ本線日本海 森 昌子

・・・森昌子が紅白に出た時、とてもうれしかった。森昌子ほど情感を込めて歌える歌手はそうはいまい。今まで家庭に入っていたのは世の中の大きな損失だった。彼女は自分より一歳年上である。デビュー曲の「せんせい」から「中学三年生」。同じ世代を生きたという実感がある。「哀しみ本線日本海」歌詞が大好きである。

 

♪ドント・ストップ フリートウッド・マック

・・・高校時代、友人の藤森哲司さんからビルボードのヒット・チャートを教えてもらい始めた頃、全米アルバムチャートで30数週一位を続けている歴史的名盤があった。フリートウッド・マックの「噂」であった。アルバム全曲名曲揃いだったが、アップテンポのいかにもアメリカ的なこの曲が好きだった。後年、クリントン前大統領が、初めて大統領に出馬する時、この曲を自分のテーマ曲に使ったが、何か不愉快だった。

 

♪22才の別れ 伊勢正三

・・・高校時代もよく集会で歌ったが、就職当時、車の免許を持っていなかった私は、時々先輩の女教師の車で駅まで送ってもらった。同じ茅野市に住む10歳ほど年上の彼女は、俳優の根津甚八と「22才の別れ」が好きだった。彼女は話してくれた。「大学卒業の時、最後にみんなで歌った」と。その彼女も30才をだいぶ過ぎてから、同僚の紹介で知り合った彼と結婚して大阪に旅立っていった。

 

♪ハート・オブ・グラス ブロンディ

・・・ブロンディ3枚目のアルバム「恋の平行線」からの大ヒットシングル。初夏にレコーディングされたこの歌は、デボラ・ハリーの魅力に尽きる。彼女の歌声を聴いた時、体に軽く電流が走った。デボラ・ハリーのセクシーさ。その甘いささやき。危険な香りに満ちていた。うなされたように何度も何度もくり返して聴いた。青春時代の衝撃の一曲。

 

♪りばいばる 中島みゆき

・・・20数年前から中島みゆきファンである。中島みゆきの世界は文学である。短編小説である。たくさんのお気に入りの曲があるが、特に印象的なのがこの曲。「酒に氷を入れて飲むのが好き」というフレーズが耳にこびりついている。しばれる冬を感じさせる一曲。

 

ならず者 イーグルス

・・・私の洋楽の師、藤森さんがイーグルスならこの曲と薦めてくれた曲。イーグルス2枚目のこのアルバムはならず者のトータルアルバムになっている。のちに「ホテル・カリフォルニア」などでブレイクする前の心しみじみイーグルスサウンド。リンダ・ロンシュタットの「ならず者」もいい。

 

♪順子 長渕剛

・・・本音をそのまま歌詞にしたような、この歌が好きだ。「順子」で長渕を知ったのかもしれない。その後上諏訪のフォーク村「コンセール」で、ひきがたりの関さんに出逢い、長渕をよく聴くようになったが。自分の二十歳を感じさせる曲。

 

ラスト・ワルツ ザ・バンド

・・・映画「ラスト・ワルツ」を観たのは、上諏訪のシネマレイクの大スクリーンだったと記憶している。それまで私は「ザ・バンド」というグループをあまり知らなかった。ボブ・ディランのバックバンドも務めていたことのある彼ら。「ラスト・ワルツ」と銘打たれた解散コンサートにも、ディラン他、ニール・ダイヤモンドやニール・ヤング、ジョニー・ミッチェルなどそうそうたるメンバーが演奏に駆けつけ彼らの解散を惜しんだ。自分もレーザーディスクを買い、何度もくり返し観た映画の主題曲である。

 

♪なごり雪 イルカ

・・・春を感じさせる名曲中の名曲。NO1といってもいい。伊勢正三作品。一服の別れのドラマが歌詞の中で展開される。伊勢正三の歌も味があっていいが、「なごり雪」はやはりイルカがいい。何度聴いても飽きない曲。一年に一度は聴きたくなる曲である。卒業生を送りだす定番の曲でもあるし、疲れた時の癒しの曲でもある。のびやかに歌い上げる芹洋子のヴァージョンもいい。

 

♪悲しい女 ボブ・ウェルチ

・・・アルバム「フレンチ・キッス」A面1曲目の曲。レコードの針を落とすと、すぐにこの美しいメロディーが聞こえてくる。かつてフリード・ウッド・マックに在籍していたBOB WELCHの「SENTIMENTAL LADY」がこの曲。この曲でボブ・ウェルチと巡り会ったが、「悲しい女」以上の曲はない。

 

♪湖のある町 中村雅彦

・・・安曇野に家を建てた作詞家が、ふるさとの諏訪湖の花火大会を懐かしんで書いた詩。わさびーず21の中村雅彦が曲をつけて歌っている。CD「風はどこからくるのですか」に収録。中村はふるさとの大町の木崎湖の花火大会をイメージして作曲した。花火大会を舞台に、しみじみと遠い夏を歌い上げている。

 

♪ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス ビル・ウィザース

・・・グローバー・ワシントンJr.がプロデュースした、ジャズ系の極上の一曲「JUST THE TWO OF US」。ワインと薔薇と煙草が置いてあるテーブルで、黒木瞳系の彼女と聴きたい曲。心地よく酔い、すべてのしがらみから解放されて、この曲を聴ける日はいったいいつだろう。

 

♪ダスティン・ホフマンになれなかったよ 大塚博堂

・・・確か博堂は36歳の若さで病気のため急逝した。新聞の記事を読んだのを憶えている。28歳で渡辺プロに入り、32歳で初めてアルバムを発表したという遅咲きの実力派フォークシンガーだった。いい声をしていた。上諏訪の「コンセール」のマスター、桐原さんは博堂が好きだったようで、よく店で彼の歌が流れていた。亡くなったあともよく流れた。藤公之介・作詞「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」なんと心に沁みる歌だろう。失恋をくり返してきた私には詩の世界が痛いほどわかったものだ。

 

♪すべては風の中に カンサス

・・・全米で大ヒットしたのは春だった。ビルボード最高6位は4月だった。ロックバンドが時々放つ実に美しい曲。カンサスの場合はこの曲だろう。’77年発表の5枚目のアルバム「暗黒への曳航」からのシングルカット。アルバムを買って、何度もくり返し聴いた名バラード。

 

♪不思議なピ-チパイ 竹内まりや

・・・気持ちのいい曲である。まさに春を伝えてくれる。竹内まりやには名曲がたくさんあるが、初期のこのナンバーも大好きである。当時は一人の女子大生シンガーというイメージだったが、やはり山下達郎というパートナーに恵まれたせいもあるのか、独自の世界をゆくシンガーとして、心に残る歌を歌ってくれている。

 

♪恋の仲直り ピーチェス&ハープ

・・・初めて聴いた時から、何といい曲だろうとうっとりした。ワシントンで結成されたソウル・デュエット。全米で1位に輝いた。男と女の甘いムードたっぷりの名バラードである。その当時、茅野市の駅前にあったラーメン屋の娘もこの曲がお気に入りだった。

 

♪サボテンの花 チューリップ

・・・自分自身、失恋して落ち込んだ時、何度この歌に慰められたことだろう。詩の良さと曲の良さ、それに財津和夫の温かい歌い方が、この曲をスタンダードにした。20年前も10年前も5年後も10年後も不滅の名曲。

 

♪アローン・アゲイン ギルバート・オサリヴァン

・・・いつ聴いても心が落ち着く。いい曲である。1972年の夏から秋にかけて、全米で1位を6週間続けた。1972年といえば、私は12歳。「みずうみ寮」に入寮している時代だ。「しらはぎ」という部屋にいて室長をしていた。部屋のみんなから「村八部」にされ、いじめられていた。アローン・アゲイン。まさしく当時の自分の姿だった。

 

♪とてもちいさなまち さだまさし

・・・自分が故郷の茅野市を後にして、安曇野の池田町でひとり暮らしを始めた時、心の拠り所にした1曲。さだの故郷、長崎を舞台にした歌だと思うが、愛する故郷、愛する初恋の人、それらが一緒になって私の心を惹き付けた歌である。さだまさしはあんなに感受性の強い人なのに、心が強いのはなぜだろう。

 

♪あなたしか見えない メリサ・マンチェスター

・・・むしろリタ・クーリッジのカヴァーのほうが有名かも知れない。涙はらはらの名曲。メリサのライブのLDを持っていて何度くり返し見たことか。彼女は決して美人ではないが、実に表現力豊かに歌っている。相手に思いを伝える力を持っている歌。MELISSA MANCHESTER。1951年、ニューヨークのブロンクス生まれ。

 

♪さよなら夏の日 山下達郎

・・・夏の名曲中の名曲。なんと感動的な歌だろう。歌を聴いているとテンションが一気に上がっていく。詩が大好きである。山下達郎の中でNO1の曲。青空の夏の日、プールサイドで聴きたい曲。

 

♪ダンシング・クイーン アバ 

・・・高校時代、ポップスを聴きはじめた頃、巷で大ヒットしていた。日本でも人気の高かったスエーデン出身のグループ。曲の良さと女性コー ラスの美しさで一世を風靡した。高校時代の友人、帯川潔さんがとてもいいと推薦してくれた曲。男2人、女2人のグループ。女性のひとりがとてもセクシーでチャーミングで憧れた。

 

♪心もよう 井上 陽水

・・・この歌が世間を席巻していた頃、自分は小学生だった。陽水が当時愛していた人に送ったこの歌は不滅のパワーがある。恋をしている時、この歌の深さがわかる。

 

♪ロンガー ダン・フォーゲルバーグ

・・・彼の通算6枚目のアルバム「フェニックス」からのシングルカット曲。「海にいる魚たちより長く どんな鳥たちより高く 天にまたたく星たちより長く 僕はずっと君を愛してる」と歌うラブソング。私が21歳の時にヒットした曲で、その当時、同郷で時々車に乗せてもらった音楽の女教師のKさん。年上の彼女の誕生日に、この歌のシングルレコードをプレゼントしたことを憶えている。甘美な想い出だ。

 

♪信濃の人とお茶のお話し わさびーず

・・・100年後に残ってほしい田舎ソングの名曲である。堀六平作詞・作曲。

 

♪キープ・オン・ラヴィング・ユー R・E・Oスピードワゴン

・・・彼らグループ結成14年目にして初めての大ヒット曲となった。14年目の勲章と言われた。彼らの通算10枚目のアルバム「禁じられた夜」からの第1弾シングル。「そう、ずっと君を愛しつづけるよ いつまでもずっと愛させておくれ、それだけが僕の望みなんだ」というラブバラード。これが巷に流れていた頃、私はまさしく青春だった。

 

♪いい日旅だち 山口百恵

・・・自分は松田聖子派だから山口百恵はそれほど関心がなかったが、谷村新司・作のこの歌と、さだまさし・作の「秋桜」は大好きだ。一番の出だしの歌詞が素晴らしい。自分もこんな歌詞を作詞してみたい。時々無性に聴きたくなる曲。

 

♪星影のバラード レオ・セイヤー

・・・吟遊詩人、内向的なシンガー・ソング・ライターと言われてきた彼。並はずれた声のショーケースを楽しめる彼の歌が大好きだ。自分は初期の内向的なアルバムが好みだが、甲斐よしひろや岩崎宏美なども「ワンマン・バンド」など彼の地味な曲を取り上げている。

 

♪別れのサンバ 長谷川きよし

・・・淡々と歌っているが、これほど別れの寒さ、冷たさを感じる曲もあまりない。若き日の長谷川きよしの才気、非凡さが、この一曲に凝縮されているような気がする。一度、松本で行われた彼のコンサートを聴き、そこで彼の幼い頃からのドキュメントフィルムを見たことがある。その時、会場でサイン入りの本も買った。彼は二度と同じサインは書けないと言った。

 

♪ラヴ・ガン KISS

・・・初めてKISSの「LOVE GUN」を聴いたのは、茅野市の藤森哲司宅。高校生の頃だ。高校の隣のクラスだった藤森氏は当時すでに2000枚ぐらいのロック、ポップスのLPレコードを持っていた。彼の家は親が自営業をやっていて、そこでバイトして、手に入れたお金をレコードに注ぎ込んでいた。「ラヴ・ガン」はアルバムのタイトル曲。KISSは口から火を吹くジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、ピーター・クリス、エース・フレーリーの4人組。顔に派手なメイクをして視覚的に訴えていたが、音楽性も高かった。

 

♪会いたい 沢田知可子

・・・恋人と死に別れた哀しいバラードだが、なぜか自分は夏になると聴きたくなる。岡谷市のカノラホールで行われた彼女のコンサートに行ってきたが、「会いたい、この一曲で10年飯を食ってきました」と言っていた。作詞・沢ちひろ   作曲・財津和夫。

 

♪あの娘に何をさせたいの ローウェル・ジョージ 

・・・1979年6月、リトル・フィートをひと月前に解散させたばかりのローウェル・ジョージは公演中に急逝した。34歳だった。ソロデビューアルバムの1曲目に入っているのが、リズミカルなこの曲である。リトル・フィートのアルバムも持っているが、スライドギターの名手であり、ヴォーカリストとしても評価が高かった。彼の歌を聴きたいためにCDを買い直したのである。

 

♪俺たちの旅 中村雅俊

・・・この曲のイメージは「旅立ちの春」である。若い頃、毎週楽しみに見ていた「俺たちの旅」の主題歌。小椋佳の作品。カースケ、グズロク、オメダ等の姿が甦ってくる。小椋佳のこの曲は哲学的というか感性というか透明感があふれている。詩人である。

 

♪そよかぜの誘惑 オリビア・ニュートン・ジョン

・・・わが青春の真打ちの登場である。イギリス生まれ、オーストラリア育ち。歌の妖精オリビア。オリビアのLPを誰か持っていないか、持っていたら貸してもらおうとさがした記憶がある。チャーミングな金髪の美人も自分も今ではすっかり年をとってしまったが、歌のもつ魅力は永遠である。

 

♪はつかり5号 BUZZ

・・・さわやかな声をもつ男性二人組。雪国の別れを感じる名バラード。地味なグループだったが、心に残る歌を何曲か残してくれた。「はつかり5号」白い雪の輝きをもつ名曲である。心が疲れた時、いつまでも聴いていたい曲である。

 

♪オール・バイ・マイセルフ エリック・カルメン

・・・ラズベリーズを経てソロに。この曲は1976年の大ヒット曲。荘厳な大バラード曲である。18歳の時、年上の好きな女性にプレゼントしたカセットテープに納めた歌の中の一曲。のびやかな美声のエリック・カルメン。最初に聴いた彼のヒット曲では女性シンガーだと勘違いした覚えがある。

 

♪メモリー FREEWAY

・・・しっとりとしたラヴバラード。柳沢和夫・作詞作曲。CD「DREAMING」から。1999,9,12 大町市文化会館でのライブ盤。柳沢和夫の甘いヴォーカルが心を打つ。CDとビデオになって発売になったこのコンサートには自分も聴きに行った。大きな会場に満員の観客。アットホームな素晴らしいひとときだった。

 

♪ロンドン・コーリング ザ・クラッシュ

・・・パンクロックの雄。生きざまとしてのロックを標榜した彼らの熱が熱く伝わってくる。それから後に発売した1980年発表の3枚組のアルバム「サンディニスタ!」も買ったが、このLPも素晴らしい出来だった。ちょうどレコードというものが終焉を迎える時期で、時代は間もなくCDの時代になるが、LPレコードでクラッシュを聴いていた頃がいちばん熱い季節だったように思う。

 

♪襟裳岬 吉田拓郎

・・・春を告げる名曲。森進一より吉田拓郎のヴァージョンが好きである。上條恒彦はコンサートの時、2番の歌詞は好きじゃないので1番と3番を歌いますと言っていた。自分は2番も抵抗ない。岡本おさみの詩は好きだ。「何もない春です」という歌詞が地元で物議をかもしたときいたが、詩の世界は奥が深いのである。

 

♪ユア・オンリー・ロンリー J.D.サウザー

・・・イントロから泣かせる曲。イーグルスなどに曲を提供してきた彼が自分のアルバムを出した。そしてこの名曲である。ジョン・デヴィッド・サウザー。70年代、アメリカ西海岸で活躍してきた。「おまえは、ただ孤独なだけなんだ」とくり返し語る歌は限りなく優しい。寂し気なアルバムジャケットもなぜか目に焼きついて離れない。

 

♪大阪で生まれた女 BORO

・・・BOROさんとは二人で対談したことがある。人間的に素晴らしい方である。同じ新聞に二人でエッセイを書いていた時期もあった。「大阪で生まれた女」は18番まである歌だが、BOROさん本人や萩原健一の放ったヒット曲は、4番と6番である。シンプルな詩に粘りのあるメロディーは、いつ聴いても深い味わいがある。

 

♪朝もやの二人 シカゴ

・・・ビルボードの全米ヒットチャートを聴きはじめた頃のシカゴのヒット曲で、確か4位まで上がったと記憶している。今でも懐かしい大好きな曲である。数年後、メンバーの一人が遊んでいたピストルの暴発事故で亡くなったニュースは悲しかった。

 

♪夕暮れ時はさびしそう N.S.p

・・・中学時代のヒット曲。諏訪養護学校の音楽の時間で、自分の推薦する曲をみんなで聴こうというコーナーがあって確かこの曲もかけてもらった。東北地方出身のグループらしい素朴な香りがあった。ほとんどの曲を手掛けた中心人物、天野滋は何年か前、池田町の「安曇野池田音楽祭」に出演し、歌声を聴いたことがある。

 

♪愛はノン・ストップ K.C&サンシャイン・バンド

・・・まさに自分の青春の夏の曲だった。K.C&サンシャィン・バンドは自分のとてもお気に入りのグループだった。何年か前、どこかの福祉施設のバザーで、ベスト盤のCDを見つけ、飛びつくように200円ぐらいで手に入れた時は本当にうれしかった。

 

♪ガンダーラ ゴダイゴ

・・・初めてゴダイゴを知ったのは、映画「キタキツネ物語」だった。ゴダイゴが音楽を担当していたと思う。そして私は18歳で諏訪養護学校に就職して1年目。テレビドラマ「西遊記」では夏目雅子が三蔵法師をやっていた。音楽担当がゴダイゴ。「モンキー・マジック」や「ガンダーラ」が流行していた。今でも懐かしいあの頃。いいことは何もなかった。

 

♪片思いと僕 ロボ

・・・1943年7月にフロリダで生まれたロボ。あと2か月で(2003年5月現在)60歳になる。この甘いラヴソングの作者がと思うと感無量になる。1972年にビルボード全米2位まで上がったこの曲が大好きだった。店で思いがけずロボのCDを見つけた時は、後のことを何も考えず買った。I’D LOVE YOU TO WANT ME この曲のサビの部分が子供の頃の記憶にこびりついている。その頃は曲名を知らなかった。「片思いと僕」と後年知った時はうれしかった。

 

♪わかってください 因幡晃

・・・高校生の頃、NHKFM「6時のジョッキー」で、あきこさんからながたくんにリクエストされた曲。どこのあきこさんか、どこのながたくんかわからない。でも私は自分にあてられたリクエスト曲だと信じたかった。東北出身、因幡晃屈指の名曲。

 

♪ささやく夜 カーラ・ボノフ

・・・1979年発表。ウエスト・コーストの歌姫。この曲はドン・ヘンリーとJ.D.サウザーがバックでハーモニーをきかせている。夜になると聴きたくなる曲。アルバムジャケットの彼女の写真がどこかいい。

 

♪絲綢之路 喜多郎

・・・しちゅうのみち。NHK特集「シルクロード」テーマ曲。リアルタイムで番組は見なかったが、音楽は気に入ってシングルレコードを買った。そして諏訪養護学校の放送室で、朝の読書の時間か清掃の時間の音楽にかけたものである。最近NHK開局50周年ということで、NHK特集「シルクロード」の再放送を夜11時にやっていたが、毎日見ていた。

 

♪胸につのる想い ロッド・スチュワート

・・・ロッド・スチュワートには名曲がたくさんあるが、自分の原点はこの曲。ビルボ-ド全米4位まで上がった。高校時代、貴重なこづかいで、茅野市のシマダヤ楽器店で、この曲が入っているアルバム「明日へのキック・オフ」を買ってくり返して聴いていた。

 

♪もうひとつの土曜日 浜田省吾

・・・浜田省吾は甲斐バンドと共に最も好きなアーティストだ。数々の歌を聴いていると、浜田は夏に対する思いが強いように思う。自分も四季の中で夏がいちばん好きだ。この曲が夏の歌なのかわからないが、自分にとっては、浜田のバラードは夏のバラードなのである。

 

♪ボヘミアン・ラプソディ クイーン

・・・クイーンの中でいちばん好きな曲とは言えないが、やはり存在が大きい曲。就職1年目は「ジェラシー」という曲を聴きまくった。それからアルバム「オペラ座の夜」を知った。その中にこの曲が入っていた。個性的なヴォーカルのフレディ・マーキュリーはエイズで亡くなった。やはりロック・シーンに大きな存在だった。

 

♪ダイアモンド プリンセスプリンセス

・・・日本のロックの名曲である。曲もいいが中山加奈子・作詞の詩が素晴らしい。詩についてはユーミンもほめていたらしいが、私もほめたい。学校の臨海学習に行く前に、とても分厚い歌集を作った。その中で生徒がいちばん気に入っていた曲が「ダイアモンド」で、貸しきりバスの中で、みんなで歌いまくった思い出がある。

 

♪ふれあい ダン・ヒル

・・・黒人史に著名な学者である黒人の父と、社会学者である白人の母との間に生まれたシンガー・ソング・ライター。両親がマッカーシズムから逃れるためにアメリカからカナダにやってきてから彼は生まれた。ダン・ヒル、1954年生まれ。高校時代の1977年12月、全米ヒットチャートで2位まで上がったバラードの名曲である。

 

♪冬が来る前に 紙ふうせん

・・・「冬が来る前に」というタイトルなので冬の歌ではないかもしれないが、気分は冬の歌である。もともとは1978年の録音だが、10数年前にリバイバルヒットした。歌のもつ魅力と平山泰代のかわいさと歌のうまさと・・・。「赤い鳥」から数年後の姿だった。

 

♪ロスト・イン・ラブ エア・サプライ

・・・ペパーミント・サウンドと呼ばれたさわやかな曲。1980年全米3位。それから次々とヒットを飛ばし、一世を風靡。オーストラリア出身のバンドとしては最も成功をおさめたかもしれない。リトル・リヴァー・バンドも好きだが。当時もちろんレコードを買った。アリスタレコード、2500円。ウインド・サーフィンのジャケットが懐かしい。

 

♪島唄 THE BOOM

・・・紅白に出ていたTHE BOOMがこの唄を歌った。宮沢和史の感性と才能が産んだ1993年の名曲。その後南米の歌手が歌い、現地で大ヒットした。「海よ 宇宙よ 神よ いのちよ このまま永遠に夕凪を」という歌詞に感動して震えたあの日、この曲には作者の深い祈りが感じられる。

 

瞳のささやき クリスタル・ゲイル

・・・1977年冬に大ヒット。彼女の半生が映画化された女性カントリー歌手ロレッタ・リンの妹である。自分がアメリカントップ40を聴きはじめた高校生の頃、彼女の澄んだ歌声にしびれ、チャートが上がるように応援していた。最終的に2位までいった。その後彼女のヒット曲はない。生涯たった1曲のヒット曲になっても歌声は色褪せない。

 

Heart and Soul 浜田麻里

・・・今聴いても心が踊る1988年ソウルオリンピックNHKイメージソング。彼女は自分にとって、それまで茶髪のケバイ感じでイメージが良くなかったが、この曲で評価が変わった。当時、落ち込んだ時、この曲でどれだけ救われたか。もうひとつのバラードと共に・・・。

 

♪イマジナリー・ラヴァー アトランタ・リズム・セクション

・・・渋いこの曲が大好きだった。大人の色がした。当時ラジオ関東「アメリカントップ40」で毎週楽しみにしていた曲。当然、アトランタ出身のグループ。70年代のロックイベント「カリフォルニア・ジャム」に、サンタナ、ハート、エアロスミス、デイブ・メイスンなどと共に出演していた。そのLPを録音したカセットテープは、今も大切にとってある。

 

♪あなたのキスを数えましょう 小柳ゆき

・・・小柳ゆきはあまり聴かないが、このデビュー曲は良かった。確かまだ高校生の彼女だったろう。自分はどうしても詩の良い歌に心奪われる。実力派シンガーだから、これからも心に沁みる歌を期待している。

 

♪ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ ポリス

・・・ポリスの第3弾「ゼニヤッタ・モンダッタ」から。このアルバムからは「高校教師」などのヒット曲が出たが、自分はこの曲が好きだった。初期のポリスはレゲエ色が強かった。自分はシンプルな初期が好きである。ポリスはバンコクやボンベイ、カイロ等で大規模なコンサートを行い話題になった。ポリス解散後、メンバーのひとり、スティングが大ブレイク、50歳を過ぎた今でもアルバムを発表している。

 

♪思秋期 岩崎宏美

・・・岩崎宏美の中でいちばん好きな曲である。阿久悠作詞の詩が良い。高校時代、岩崎宏美の写真をノートに貼ったことがあった。なんとも心を震わせてくれる感動的な歌だ。「一人で紅茶飲みながら絵ハガキなんか書いている」というくだりがある。今はメールの時代、絵ハガキの時代がやはりいい。

 

♪ノー・ウーマン・ノー・クライ ボブ・マーリィ

・・・本名ロバート・ネスタ・マーリィ。1945年キューバに生まれ、1981年アメリカのマイアミの病院で亡くなる。享年36歳。自分にボブ・マーリィを教えてくれたのは、穂高町在住の写真家である岩間さんである。森の中にある岩間さんの家にお邪魔すると、ボブのライブのビデオを見せてくれた。胸が震えた。それから間もなくボブのCDを7枚ほどまとめて買ったのである。

 

♪生きてりゃいいさ 加藤登紀子

・・・今は亡き河島英五の作品である。ひとり暮らしの初期、この歌にどれだけ慰められたことだろう。自分に無理しなくて生きていいんだよと教えてくれた曲。

 

♪甘い罠 チープ・トリック

・・・なんとなく変わり者の集団に思えたが、音楽性は高かった。アルバムのスタジオ録音版ではなく、数年後1978年に発表された「チープ・トリックat武道館」のシングルが世界で大ヒット。日本の少女たちの黄色い叫びがヒットさせたと言われた。19歳の時、足の2度目の手術のため職場を離れ、信濃整肢療護園に入園した。隣のベッドにやはり足の再手術のため出戻ってきた同級生の下平くんがいた。二人部屋だった。二人で「甘い罠」を大音響で聴いた。看護婦が飛び込んできた。

 

♪I Love You 尾崎 豊

・・・大本命の登場である。その昔、下諏訪にあったライブ居酒屋「カントリーロード」。そのマスターがこのホームページを創ってくれた山田さんだった。「カントリーロード」で、山田さんに言われた。「永田くんの小説に似た歌があるよ」そして店で聴かせてくれたのが「I Love You」だった。

 

♪66%の誘惑 ミート・ローフ

・・・その芸名の通り、巨漢のハードロック・シンガー。だがこの曲は世にも美しいバラードである。ミート・ローフの歌はこの他にあまり知らないが、26年たっても忘れられない不思議な歌である。

 

♪シオン 沢田聖子

・・・当時、イルカの妹分といわれたさわだしょうこ。似たような名前の松田聖子が出てきた時は迷惑だったろう。セ-ラ-服が似合うどこにでもいる清純派シンガーソング・ライターである。自分と同年代なのでそれなりの年になっただろうが、アルバムジャケットの写真と歌声は10代の少女のままである。彼女の歌は大好きである。声の質が好きである。コンサートの中でしゃべる話の真面目さが好きである。コンサートは2度行った。信州大学の学園祭と、それからずっとあと安曇野池田音楽祭である。

 

♪永遠の人に捧げる歌 コモドアーズ

・・・コモドアーズの中心人物、ライオネル・リッチーの作品。歴史的名曲である。ディスコサウンド全盛の時代に、一杯の清涼飲料水だった。この曲からコモドアーズ、ライオネル・リッチーの快進撃が始まる。心が休まる瞬間、いい時代だった。

 

♪夏の日 森高千里

・・・1994年のナンバー。クラスの歌に選ばれ、毎日歌っていた。森高の作詞の才能はすごいなとずっと思っていた。夏の名曲なのに、今はほとんど忘れられているだろう。決して流行歌じゃないのに・・・。自分は森高を高く評価していたのに結婚した時、選んだ相手に正直ガックリきた。大きなお世話だろう。

 

♪恋するデビー デビー・ブーン

・・・自分の青春を彩る一曲。1977年10週連続全米1位に輝いた。それは当時の記録だった。原題は「ユー・ライト・アップ・マイライフ」もともと映画「マイソング」用に作られた歌だったが、先行発売したデビーの歌が大ヒットしてしまった。映画の中で歌っている別な歌手が気の毒だが、この映画も大好きである。「恋するデビー」に続く「カリフォルニア」はヒットチャート50位ぐらいでこけてしまったが、応援していた。2003年、店でデビー・ブーンのベスト盤CDを発見し、飛びつくように手に入れた。彼女は1956年9月生まれ。自分より3歳年上だったのか。

 

♪喝采 ちあきなおみ

・・・自分が中学1年の時だった。「喝采」が日本レコード大賞を受賞した。その頃自分は「みずうみ寮」にいた。部屋の担当は保育専門学校を卒業したばかりの二十歳のKさんだった。清楚な寮母さん(現、寄宿舎指導員)で私は憧れていた。ある日、今年のレコード大賞は誰だろうという話題になった。Kさんは「喝采」だと力強く言っていたのを思い出す。

 

♪宇宙のファンタジー アース・ウィンド&ファイアー

・・・軽快な曲で、ドライブをする時に聴きたい歌である。その当時、ラジオで音楽評論家の渋谷陽一さんがこの曲をベタほめしていたのを憶えている。ヒットチャートはそれほど上がらなかったが、この手の曲の名曲だろう。最近になり、アース・ウインド&ファイヤーの松本公演なんて聞くと、時の流れを感じてセンチになってしまう。

 

♪道標ない旅 永井龍雲

・・・しるべない旅。龍雲の貴重なヒット曲。永井龍雲の名前を初めて見たのは、茅野市の高部のバス停留所である。そこに彼のコンサートのポスターが貼ってあった。きっとまだデビューしたての頃だと思う。「龍雲」という名前が印象的だった。彼の歌声を一度だけ聴いたことがある。安曇野池田音楽祭である。なぜか少し元気がないように思えた。

 

♪愛の休日 ミッシェル・ポルナレフ

・・・1972年秋の大ヒット曲。自分がまだ小学生の頃だろう。何ともいえない幻想的な美しい曲である。フランス語の響きがまた新鮮だった。とても深い愛の歌だと思っていたが、「それは、空から下りてくる飛行機・・・」後年知った訳詞は少し印象が違った。

 

♪SACHIKO ばんばひろふみ

・・・自分の中でベスト10に入る名曲だと思う。この曲を初めて聴いたのは、諏訪養護学校に就職して一年目だと思うが、呑み会のあとで寄った下諏訪の五明宅でレコードプレイヤーから流れてきたのだ。酔った耳に入ってきたメロディー。特に、小泉長一郎作詞の詩がすばらしい。数日後、結婚式で一緒だった女性が二次会の帰りに「いい歌ね」とレコードを探していたのを憶えている。

 

♪レイディー ケニー・ロジャース

・・・ライオネル・リッチー作の名バラード。先日ペンションに泊まった折り、朝食のBGMで流れていたが、つくづくいい曲だと思った。

 

♪カムサハムニダ イ・スヒョン 三浦 久

・・・2001年1月26日夜、運命の事故が起きた。新大久保駅で関根さんとイ・スヒョンさんは一人の命を救った。自らの命を犠牲にして。深く心を揺り動かされたフォークシンガー三浦久は、韓国からの留学生イ・スヒョンさんたちに捧げる歌を創った。そして韓国でのコンサート。彼の家族にも対面し、深い心情を伝えた。その歌である。

 

♪悲しみのアンジー ローリング・ストーンズ

・・・ローリング・ストーンズ、初期の名曲。というか自分にとってストーンズの中でNO1の曲。泣くように呟くミック・ジャガーのヴォーカルがいい。

 

♪ラヴ・イズ・オーヴァー  欧陽菲菲

・・・感動的な別離の歌である。「私はあなたのお守りでいい ずっと心に」という部分が泣かせる。最近、懐メロクッキーというお菓子が売られている。クッキー4枚と8センチCDが一枚入っている。この曲の箱を見つけ、喜んで買った。ずっと残ってほしい曲。ほんとに好きだな、この曲。

 

♪俺らの家まで 長渕 剛

・・・「春の風が表通りを 通り抜けてゆくのに・・・」。青春の思い出の曲である。上諏訪のコンセールに入り浸っていた頃、関さんがいつもステージでこの曲を歌っていた。ノリの良い歌。本音を詩に託す長渕、初期のさわやかな歌。アルバム「風は南から」のトップナンバー。

 

♪9 to 5 (9時から5時まで) シーナ・イーストン

・・・直前にドリー・パートンが同名の曲を大ヒットさせたため、アメリカでは「モーニング・トレイン(9to5)」と改題して発売され、5月に第1位になる。シーナ・イーストンが世に出た曲。その頃来日して日本の歌番組に出演した時、当時普及しはじめたビデオに録画して、茅野の自宅で何度も見た彼女。気が強そうでチャーミングなイギリス女性が今でも目に焼きついている。いったいあのビデオはどこにいってしまったのだろう。当時のビデオテープは1本4500円もした。

 

♪TSUNAMI サザンオールスターズ

・・・サザンの夏の名曲中の名曲。100年後に 残ってほしい曲である。初めてこの詩を聴いた時、感動に背中が震えた。桑田はなぜ、いつまでも人の心を打つ詩とメロディーが書けるのだろう。桑田メロディーの根底には遠い日の懐かしさをいつも感じる。

 

♪蒼いフォトグラフ 松田聖子

・・・宮本輝原作の青春小説「青が散る」がテレビドラマになった時、使われた曲。最も好きな小説のひとつである。宮本輝さんから一度だけ手紙をもらったことがある。サイン入りの「螢川」「二十歳の火影」の2册の本と共に。手紙には「流行小説は読まず、昔からの名作というものを読んでください」と書いてあった。

 

♪やさしく歌って ロバータ・フラック

・・・私は18歳の時、養護学校に就職した。その時の同期に大阪出身の松川さんがいた。自分より6歳ほど年上の方だったが、妙に気が合い仲良くしてもらった。ある飲み会の夜、私は下諏訪の松川さんの下宿先に泊めさせていただいた。松川さんはレコードをかけた。酔った耳に心地よいバラードが聞こえてきた。「やさしく歌って」だった。松川さんは今盲学校の教頭先生をしている。

 

♪夜明けの停車場 石橋正次

・・・中学生の時、この曲が好きでレコードを買った。それを「みずうみ寮」の放送室で聴いていた。石橋正次は日本テレビの「飛び出せ青春」に出演していた。重くドラマチックなこの歌は、なぜか心に焼き付いて離れない。

 

♪母に捧げるバラード 海援隊

・・・海援隊の出世作。この曲で世に出て紅白にも出たが、後が続かず、随分苦労したようである。当時、武田鉄矢は肩まで髪を伸ばしていたが、妙に合わなかった。この歌も大好きで、中学生の時、レコードを買って、「みずうみ寮」の放送室でよく聴いていた。

 

♪マジック DICK ST. NICKLAUS

・・・1979年、日本で大ヒットしていた。自分は19歳。最も苦悩を重ねていた時期で、青春の光と影の中にいた。その頃、やけに明るいこの曲が日々を通り抜けた。

 

♪北の宿から 都はるみ

・・・阿久悠作詞。冬の名曲である。レコード大賞受賞曲。自分は八代亜紀に比べ、都はるみの良さをもうひとつ実感できないが、この曲は好きである。都はるみといえば、作家の故、中上健次さんを忘れるわけにはいかない。中上さんと都はるみは兄弟以上の深い絆で結ばれていたといわれる。「おにいちゃん」と呼び、いったん歌手を引退したはるみが復帰するにあたり、中上さんの存在が大きかったと聞いている。

 

♪瀬戸の花嫁 小柳ルミ子

・・・作家の中上健次さんと一期一会の時を過ごしたことがある。知人の小浜清志さんが文學界新人賞を受賞し、そのパーティーが立川のホテルで行われた。自分も誘われて出席したその会場に中上さんがいた。中上さんが自分の代わりにどうしてもカラオケで歌えと言う。迷った末に歌ったのがこの曲だった。その後、中上さんに可愛がられ、「おまえのような男は珍しい。俺がこれから(小説)めんどうをみてやる」と言われた。その夜は2次会3次会とずっと中上さんの隣に座っていた。最後にタクシーで一緒に帰った。それから間もなくだった。ハワイで執筆していた中上さんががんに冒されていることがわかったのは。中上さんが血尿をしたという新宿の風花は何度か行っている。そのトイレにも入ってみた。

 

♪辛い別れ アン・マレー

・・・百花撩乱のヒット・チャートの中で、この大人の曲は異色だった。否、最も正統派かも知れない。低音のご婦人の落ち着いた、しみじみとした名バラード。一時期、アン・マレーはよくヒット・チャートに顔を出していた。立川のCDショップでアン・マレーのCDを見つけた時はうれしかった。

 

♪遠くで汽笛を聞きながら アリス

・・・堀内孝雄の名曲。自分自身、この曲でずいぶん励まされた。今は故郷の鳥取に帰ってしまった教員のNさんの奥さん、志保さんがこの曲を好きだった。

 

♪バラが咲いた マイク真木

・・・自分の6歳を彩るテーマ曲である。6歳で下諏訪町高木にあった信濃整肢療護園に入園したが、当時は1966年、岡林たちのフォークソングの時代だった。日曜日になると園にもよく慰問団がきた。講堂に集まり、よく歌を聞いた。当時の代表曲といえば「バラが咲いた」や岡林の「友よ」だった。

 

♪ホールド・アウト ジャクソン・ブラウン

・・・自分の19歳の夏を代表する曲である。当時、東大阪、長瀬にあるK大学の通信教育を学んでいた私は、夏になると3週間スクーリングに来ていた。それが3年続いた。19歳の夏、東大阪の町にはディスコ調のこの曲が溢れていた。重いベースの音が強調されていた。

 

♪夏休み 吉田拓郎

・・・数年前からなくなってしまったが、自分にとって池田町の夏の風物詩のひとつであった安曇野池田音楽祭で何回か南こうせつが出演した年があった。その時、こうせつがよく拓郎の「夏休み」を歌っていた。子供の頃、リアルタイムでよく聴いていた「夏休み」。「姉さん先生・・・」というフレーズが好きだった。

 

♪水色の街 三輪車

・・・長い間、歌のタイトルがわからなかった。施設にいた子供の頃、ラジオでよく聴いた曲。明るさとハイトーンの歌声が好きだった。後年、高校の友人のA氏の結婚式の幹事をしたが、お嫁さんのたっての希望で、この曲を重要な場面で使った。お嫁さんのもっていたこの曲はカセットテープで音質がよくなかったが・・・。結婚した二人はその後離婚してしまったが、この曲がもつ青春のラブストーリーは永遠に不滅である。

 

♪99 TOTO

・・・ポール・デイヴィスの「アイ・ゴー・クレイジー」と共に、田中康夫の「なんとなくクリスタル」のサントラ盤に収録されていた。日本に来日した時、トイレのTOTOの文字を見て「TOTO」というグループ名を考えついたといわれるスーパーグループのトータルアルバム「ハイドラ」からの一曲。美しい美しい静かな曲である。

 

♪わさびの花 わさびーず

・・・堀六平、島方久人、耳塚秀三郎、中村雅彦の4人、初代わさびーずのテーマ曲。アルバム「わさびーず・あのころ」の最初の曲である。

 

♪あなた 小坂明子

・・・部屋の中から懐かしいカセットテープが出てきた。聴いてみたら、この曲が流れてきた。ただ懐かしかった。当時17歳の高校生だった小坂明子の永遠不滅の曲。その時、シングルレコードを買った。何年か前にテレビで現在の彼女を拝見した。素敵な女性になっていた。

 

♪サタディ・ナイト ベイ・シティ・ローラーズ

・・・当時、日本の若者に熱烈に人気のあったグループだった。ビートルズとB・C・Rとどちらがすごいか、なんていう問いに苦笑いしていた評論家も多かったが、一瞬のきらめきでいいのである。その時代を一瞬かすめた華やかなグループだった。当時から20数年たった今、自分の高校時代と重なって、眩しい歌なのである、「サタディ・ナイト」は。

 

♪ほおずき グレープ

・・・さだまさしの叙情性が最もよく出ている一曲である。一つの優れた短編小説。自分はこの曲に、たまらなく夏を感じてしまう。私はこの世界を愛した。

 

♪初恋 村下孝蔵

・・・40代半ばで亡くなった村下さん。一度だけコンサートを聴いたことがある。安曇野池田音楽祭。ギターがうまい人だった。この曲は好きな曲ばかり集めたカセットテープに入っており、何度聴いたことか。今、目の前にある遺作アルバム「しのびあるきのたそがれに」はなんと物悲しいアルバムだろう。

 

♪ただ愛のために アレッシー

・・・ボビーとビリーのアレッシー兄弟のデュオ。78年発売のアルバム「ALL FOR A REASON」から。当時、あっという間に消えたようなグループだったが、妙に記憶に残っているアレッシー。ソフトな美しいハーモニーだった。ただその曲も今は思い出せない。

 

♪遠くへ行きたい ジェリ-藤尾

・・・100年後に残ってほしい名曲中の名曲。今でもSBCラジオで毎日10:50分からテーマが流れる。作詞をした永六輔の番組だ。もうすぐ放送10000回を迎えるという。ざっと30年続いているのだ。